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こかげ庵の気まま綴り

僕の成長学習曲線 小学編。

 

僕の成長学習曲線 小学編。

 

自分の回想録第1弾。

 

小学生の頃は、恐らく今でいうADHD(「注意欠如・多動性障害」という発達障害)真っ盛りで、もうハチャメチャでした。

 

宿題は一切やらない、夏休み冬休みの課題は提出しない(やってない)、教科書やノートはしょっちゅう忘れる・・素行面も含めたらもっとたくさん問題があって、今だったら間違いなく、診療やカウンセリングの対象になっていたと思います。

 

当時の我が家は自営業で、僕は家業を継ぐ気満々で、家で働いているお兄ちゃんたち(憧れの的でした)は中卒の人も多くて僕も中学を卒業したらすぐに働くつもりでしたから、学校の成績なんてものには一切興味がなく、どんな成績だったのか記憶がかなり曖昧です・・。

 

当時の成績は3段階評価だったのかな?〇と◎と三重丸の。三重丸もたまにあった気がしますが、とにかく〇(つまり最低評点)がたくさんあった覚えがあります(笑)

 

でも、宇宙に関してはすごく興味があって、親に買ってもらった子供用の図鑑はもちろんのこと、大人用の百科事典?(当時は家庭常備が流行ってたのかな?)の宇宙・星・天体の分厚いものも、分からない用語だらけなのにひたすら読み漁っていました。

 

つまり、

 

『興味のあることには労力を惜しまず、興味のないことには学校のことであれ一切手をつけない』

 

そういう極端な子供でした。

 

僕の時代は寛容な時代でしたが、今はこういう子供は集団行動に適さないということで矯正の対象として扱われますよね。医療機関への相談も含めて。

 

学校が勝手にそういう扱いをするようになったわけではなく、親も周りの世論も、みんながそういう流れを作っていったんだと思うので、誰のせいとは言えない話ですが。

 

当庵にいらっしゃる生徒さんや親御さんにたまに言うんですが、「当時の僕が今の小中学生だったら、間違いなく不登校になってます」・・これ、本音です。

 

 

というわけで、このころの僕の成長学習曲線は地を這うような低空飛行状態・・でした。

 

(そういえば、当時の小学校の単元テストは裏にチャレンジ問題が載っていたんですが、いつも僕は問題には一切手をつけず余白部分に迷路やすごろくを書いて、答案が戻ってきたら休み時間に友達とそれで遊んでました。今考えるとひどいですね。。笑)

 

そんな子供だったので、今まで当庵にいらした生徒さん全員もれなく、僕から見たらすごーく真面目だし立派です。お世辞抜きで。

 

なかには「うちの子は全然ダメで・・」とおっしゃる親御さんもいらっしゃいますが、その言葉を聞くたびに「その子がダメとなると、子供の頃の僕の立場が・・」と内心思っているのは内緒です(笑)