偉大な親 回想録番外編。
偉大な親 回想録番外編。
自分の回想録 番外編です。
学業に関する回想録を書いていた先日、あるニュースを目にしました。
「抑えられなかった…もう育てられない」発達障害の小6長男暴行―子供3人抱える47歳シングルマザー逮捕 (UHB 北海道文化放送)
そのうちリンク元の記事がなくなるかもしれないので(→なくなってました)、一部を抜粋しておきます(この記事についての感想を書き綴るわけではありませんが)。
---抜粋ここから---
女性はこの日の日中、長男に洗濯物を干すよう頼み出かけましたが、長男はやり終えず洗濯物をベッドの下に隠しました。女性が帰宅後、洗濯物を見つけ、さらに、ベッドの下にカビが生えたり、腐った食べ物が出てきたということです。
食べ物は、女性が仕事をしている間に、子供たちが食べるために用意した食事の一部で、長男が好き嫌いをして残したものとみられます。
長男は対人コミュニケーションの障害から生きづらさを抱えるとされる「自閉症スペクトラム障害(ASD)」などの発達障害で、頻繁に家出を繰り返していたということです。
---抜粋ここまで---
食べ物を隠して腐らせたりカビだらけにしたり。
これ、僕もしょっちゅうやってました。しかも学校で。
僕は小学生当時、好き嫌いがかなりひどくて食べられるものがほとんどなくて、なおかつ食べるのも遅かったので、給食のほとんどを残していました。
あまりにたくさん残すと色々言われるし、男の子なのにたくさん残すなんてカッコ悪いと自分でも思っていたので、いつも残す量がそこそこになるようにパンとか固形のものは机の中に隠していました。そして帰りにカバンに入れて家に持ち帰って捨てるようにしていたんですが、恐らくADHDですからすっかり忘れてしまうこともよくあって。
そうすると・・机の中やカバンの中がカビだらけになってるんですよね。
なので教科書やノートにカビがついてることもしょっちゅうでした。
きっと僕の席の周りは常にカビ臭かったでしょうから、先生も当然わかっていたと思います。
でもそんな問題児の僕に対して、うちの親は一切なにも言いませんでした。
それ以外にも色々あったので学校からの苦情も多かっただろうに。
うちの親も気にしない性格だったのかな。そもそもうちの親も発達障害だったのかな(笑)
ともあれ、
「みんなができてるんだから貴方もやらないと」
「なんでできないの?」
なんて言葉を親から聞いたことがありません。
むしろ僕がみんなができることをできなくて凹んでいると、
「そのうちできるようになるから」
「大丈夫」
僕が小生意気な年齢になってもなお、父親も母親も決まってそう言うのでした。
当時は恐らく親も、ひょっとしたら一般の教師も「発達障害」という言葉を知らなかった時代です。だからそういった行動が見受けられても、今と違って成り行きに任せるしかなかったのかもしれません。
それが良いのか悪いのか、程度差もあって当人にしか分からないのでしょうが、僕は「何も言わず、成り行きに任せた」親に感謝しています。
成り行きに任せてくれた結果、ひどかった好き嫌いはいつの間にか綺麗さっぱりなくなりましたし、今は一人と一匹で暮らしていますがゴミやカビと共存するような生活も送っていません(笑)
今の僕を知っている人からすると、小学生の頃のそういう素行が想像できないかもしれません。でも実はそれは、小学生の頃のそういった素行の記憶の反動もあるんじゃないかなと思います(良い意味でのトラウマ?)。
当時そういう行動を一方的に抑制されることがなかったおかげで(?)自由奔放に行動していたので、自分の中には問題行動の数々の記憶がまざまざと刻まれています。
それが良い意味で反面教師になっている・・というのかな。
人から無理やり型枠に押し込められることなく、自然の成り行きで矯正されていったからこそ今の自分がある・・そう思っています。忘れやすさは今も変わらず天下一品ですが。
☆
僕のような問題児に対して何も言わず、成り行きに任せてくれた両親。
今はもう二人ともこの世にいませんが、感謝してもしきれないくらい本当に偉大な親だと思っています。
そして僕個人的には、発達障害という言葉が周知されていない時代、成り行きに任せるしかない時代に生まれ育って、本当に良かったと思っています。