無邪気な心の叫び。
無邪気な心の叫び。
「政治家が働き方改革とか言ってるけどさー」
「人の生き方改革とかやってほしいよ」
「生きづらくてしょうがない!」
小学6年生の男の子の発言。
最近は本当に、無邪気ななかにも感性が鋭くて、聡明な子供が多いなってつくづく思います。
そして、その感性についていけない、太刀打ちできない大人もまた多いんだろうなって。
授業を始めて、ノートを開いて、
「そうだ!僕の心の叫びをノートに書いたので音読します!」
突然の宣言に驚きつつも、その内容に耳を傾けたら・・
現代社会の病みを鋭く突いていて、その病理に向けた暴力的・攻撃的な言葉の雨あられ。
「オマエ何歳よ?」
「どこの活動家?」
と思わずツッコミを入れたくなりました。
ネットやゲーム、テレビで覚えたのであろう暴力的・攻撃的な言葉の数々・・でも、大人でも難易度の高いそういう言葉への理解力とその使い方の正確さ、子供っぽい表現ながらもそれらをしっかりと組み合わせていく国語力はもう褒めまくるしかない。
そのノートに限らず、無邪気な会話からちょこちょこと垣間見える感性の鋭さは、すごすぎて笑うしかない、というか正直ツボにはまってお腹を抱えて笑っちゃうこともある。
先日書いた不登校の生徒さんもそうだけど、会話しててすごく楽しくて、時間があっという間に過ぎてしまう。
でも、こういう子ほど、学校の大人たちや、その大人たちの価値観と共にあろうとする大多数の子供たちから疎まれ、虐げられてしまう。
結果、勉学もおろそかになり、周りからバカ呼ばわりされて、自分もそう思うようになる。
出来ないと言っていた分数の足し引き。
倍数とは→公倍数とは→最小公倍数とは→分数の通分
約数とは→公約数とは→最大公約数とは→分数の約分
最低限をきちんと教えれば、そしてそれを彼の秀でた発想力につなげてあげれば、これらを全て一発で覚えられるくらい聡明な頭の持ち主なのに。
彼が授業の冒頭、無邪気な顔で言っていた言葉。
「学校の先生や大人はみんな信用できない」
「ぶっちゃけ、ここが僕の最後の砦なんですよ」
感性が鋭くて、聡明で、無邪気な子供の「心の叫び」なのでした。